体K上の多項式環K[x]を既約でない多項式f(x)で生成されるイデアル(f(x))で割って得られる剰余環はなぜ体にならないのか
Kを体とする。K上の多項式環K[x]に対して、]がK上既約であれば、剰余環は体となる。これは代数学における極めて有名な事実だ。このようになる教科書的な説明を述べると、K上既約な多項式から生成されるイデアルは極大イデアルであり、極大イデアルによる剰余環は体になる*1から、ということになる。
しかし、ちょっと待って欲しい。多くの人はこれだけ見て「ああなるほどね」と納得するのだろうか?例えば、だとすると、これはK上既約ではないわけだが、このときが体にならないことは当然だと、直感的に理解できるだろうか?少なくとも、私はできない。
というわけで、本稿ではなぜが体にならないのかということを直感的に説明してみたいと思う。
このことを理解するために、1つ簡単だが重要な事実がある。それは「体は整域である」ということである。簡単に証明してみる。Kが体であり、かつとなるa, bが存在すると仮定する。すると、Kは体なのでaの逆元が存在する。このとき、となり、であることに矛盾する。よってKは整域である。
さて、だとすると、の元はと書ける。すると、である。この剰余環の積の演算を用いてこの元を2乗すると、となる。よって剰余環は整域ではないため、体ではない。
どうしてこんなことになってしまうのだろうか?K上の多項式をで割った余りは高々1次式であるが、は既約ではないため、1次式の積として書き表すことが出来てしまう。すると、その1次式同士を掛け合わせると、の倍数に出来てしまうのである。で割り切れる多項式はこの剰余環の零元であるため、整域ではなくなってしまうのである。
逆にf(x)が既約多項式であれば、f(x)より次元の小さいどんな多項式同士を掛けあわせてもf(x)の倍数にはならず、結果として剰余環は整域となる。これが、既約多項式で生成されるイデアルによる剰余環が体になる直感的理由である。(厳密な証明ではない。)
以上、定理が満たされないケースを深く考えてみることで、逆に定理をより深く理解することを試みた。特に代数学のように抽象的な分野では、具体例をたくさん考えて、自ら手を動かすことが理解への近道である。その手間を惜しむことなく、今後も数字と戯れていきたい。
*1:この証明は難しくはないが、ちょっとだけ複雑なので調べてみて欲しい。