射影被覆は何を被覆しているのか

前回の記事で射影加群と移入加群を紹介したが、これに関連する概念として、射影被覆と移入包絡というものがある。これらがその名の通り、何かを被覆し、何かを包絡する性質を持っていると思うのは自然なことだろう。

移入包絡は簡単である。詳しくは触れないが、移入包絡はR-加群Mの極大な本質拡大(詳しくはWikipedia[2]などを参照)と、Mを含む移入加群の中で極小なものとして特徴付けられ、それとなく包絡しているような感じがする。

問題は射影被覆である。こちらは一見すると何が何を被覆しているのかが分かりづらい。そこで、本稿ではこの疑問の答えを探ってみようと思う。

射影被覆の定義

まずは射影被覆の定義がないと始まらない。例によって本[1]から定義を引用する。

射影加群Pからの全射準同型 P \xrightarrow{\rho} Mは,  \mathrm{Ker}(\rho)がPの余剰部分加群であるとき, Mの射影被覆 (projective cover) と呼ばれる.

上の定義に余剰部分加群という言葉が出てきた。これの定義も引用しておく。

R-加群Mの部分加群Kが, 次の性質
「Mの部分加群Uについて,  K + U = Mならば,  U = M
をみたすとき, KはMの余剰部分加群 (superfluous submodule) と呼ばれる.

何が何を被覆するのか

射影被覆の定義だけ見ても、何が何を被覆しているのかさっぱり分からない。そこで調べてみたところ、英語版Wikipediaにおける射影被覆の記事[4]に日本語版[3]にはない重要な記述があることを発見した。それが以下である。

The main effect of p having a superfluous kernel is the following: if N is any proper submodule of P, then  p(N) \neq M.Informally speaking, this shows the superfluous kernel causes P to cover M optimally, that is, no submodule of P would suffice.

すなわち、Pのどの部分加群も、それを射影被覆 \rho*1で移したものはMと一致しないと言っている。ここで思い出して欲しいのは、 \rho全射準同型だということである。つまり、Pの1つの部分加群 \rhoで移しただけではMを覆い尽くすことはできないが、Pの全ての部分加群 \rhoで移すと、それらが互いの足りないところを補い合って、全体としてMを被覆するのである。

以上まとめると、「射影加群Pの全ての部分加群を射影被覆 \rhoで移した集合族」が「R-加群M」を(互いの足りないところを補い合いながら)被覆するのである(追記1参照)。

 \rho(N) \neq Mの証明

念の為、Wikipedia[4]に出てきた主張の証明を書いておこう。この証明はWikipedia[4]のReferencesの章に英語で書かれているので、それの和訳を記載する。

NをPの非自明な部分加群とし、 \rho(N) = Mと仮定する。 \mathrm{Ker}(\rho)は余剰部分加群なので、 \mathrm{Ker}(\rho) + N \neq Pである*2 x \in P \mathrm{Ker}(\rho) + N以外から選ぶ。 \rho全射性より、 \rho(x') = \rho(x)となるような x' \in Nが存在し、 x-x' \in \mathrm{Ker}(\rho)である。しかし、このとき x \in \mathrm{Ker}(\rho) + Nとなり、矛盾である。

まとめ

以上、射影被覆における被覆という言葉の意味について考えてみた。数学における諸概念の名前は、多くの場合その性質をよく表すように付けられている*3ため、個人的には名前の意味を考えることはとても勉強になると思っている。

気づけば非可換環論やらホモロジー代数周りの勉強を半年近く続けている。それでもまだ分からないことばかりなのだから、数学は本当に奥が深い。

追記1

Pが単純加群の場合、非自明な部分加群が存在しないため、結局 \rho(P)がMを被覆するしかない。つまり、非自明な部分加群だけではMを被覆できない時がある。こうなると何だか一気に話がつまらなくなるが、事実なので仕方がない。

*1:英語版Wikipediaではpと書かれているが、本稿では射影被覆の記号を \rhoに統一する。

*2:定義のところで述べた余剰加群が満たすべき性質の対偶を考えると良い。

*3:平坦加群のように、それを名付けた人が理由を覚えていないという衝撃的な例もあるが・・・