有限体上の線形代数を探訪する ~ 数ベクトル編 ~

有限体上での線形代数はどうなるのか?

以前の記事で有限射影幾何というものを少し扱った。その中で、そもそもそんな難しいことをやる以前の問題として、有限体上の線形代数が分かっていないことが致命的に厳しいと感じた。

例えば、 \mathbb{R} \mathbb{C}上での線形代数でよく使われる概念が同じように定義できるのかとか、有名な定理が同様に成り立つのかと言われると、答えられない自分がいた。

とはいえ、流石に私がそれらを独力で調べ切るのは今の生活 (転職したばかりで、かつ膨大な時間を子育てに使っている状態) では厳しい。

そんなわけで、全体としてどこまでやれるかは分からないが、差し当たり本稿では有限体上の線形代数の初歩として、有限体の元を成分に持つ数ベクトルについて考えたいと思う。

有限体の元を成分に持つ数ベクトル

位数 q ( q素数冪) の有限体を \mathbb{F}_qとする。 n自然数として、以下では \mathbb{F}_q^nについて考える。

ベクトルの平行性

零ベクトルでない2つのベクトル {\bf a}, {\bf b} \in \mathbb{F}_q^nに対して、それらが平行であるということはうまく定義されるのだろうか?ユークリッド空間上のベクトルの類推で考えると、ある定数 c \in \mathbb{F}_qが存在して、 {\bf a} = c{\bf b}となることを平行性の定義とするのが良いだろう。

しかし、 \mathbb{F}_q^nの元は q^n個と有限である。そのため、互いに平行なベクトルの集合は幾何学的にはどんな様子になるのか?というところが気になるところである。以下ではそれを具体例を見ながら考えてみよう。

 q = 5, n = 2の例

例として \begin{pmatrix}
1 \\
2 \\
\end{pmatrix} \in \mathbb{F}_5^2について考えてみよう。これに2, 3, 4を掛けたベクトルはそれぞれ以下のようになる。

 \displaystyle{
\begin{pmatrix}
2 \\
4 \\
\end{pmatrix}, 
\begin{pmatrix}
3 \\
1 \\
\end{pmatrix}, 
\begin{pmatrix}
4 \\
3 \\
\end{pmatrix}
}

つまり、これらのベクトルは平行であると言える。

同様に考えて、各ベクトルを位置ベクトルと見なし、平行なベクトル同士を座標上に同じ色でプロットしたものを以下に示す。

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これを見ると、何となく対称性のあるパターンにはなっているものの、ユークリッド幾何学的な意味での平行とはかけ離れていることが分かる。とは言え、これ以外によい定義方法もないし、 \mathbb{F}_q^nにおける平行性とはこういう抽象概念なのだと考えるのが良いだろう。

平行性による同値類とその個数

互いに平行関係にあるというのは、実は同値関係になる。これはほぼ自明なので詳細な説明は割愛する。

 \mathbb{F}_q^nから零ベクトルを除いた q^n - 1個の元を同値類にまとめたとき、1つの同値類には q- 1個の元が含まれる。というのも、零ベクトルでない適当なベクトルに \mathbb{F}_q^{\times}の元を掛けたものはそれぞれ相異なるベクトルになるためである。これは \mathbb{F}_q^{\times}巡回群であることなどから言える。

そのため、同値類の個数は以下のようになる。

 \displaystyle{
\frac{q^n - 1}{q - 1}
}

以前の記事でも書いたが、実はこの同値類の集合は有限体上の n-1次元射影空間になっている。当時は射影空間の元の数 (つまり同値類の数) はGaussian binomial coefficientによって求められると書いたが、そんな小難しい道具でオーバーキルせずとも、上記のような簡単な式で表現できることが分かった。

ベクトルの内積

 \mathbb{F}_q^nにおいて、ベクトルの内積を通常と同じ方法で定義することはできない。それを示すために、まずは内積が満たすべき性質について振り返ってみよう[1]。

内積の公理
 Vの二元 {\bf x}, {\bf y}に対し, 内積と称する Kの元 (これを ({\bf x}, {\bf y})で表す) が定まり, つぎの性質を持つ:
(1)  ({\bf x}, {\bf y_1} + {\bf y_2})  = ({\bf x}, {\bf y_1}) + ({\bf x}, {\bf y_2})
・・・中略・・・
(4)  ({\bf x}, {\bf x})は0または正の実数であり,  ({\bf x}, {\bf x}) = 0となるのは {\bf x} = {\bf 0}のときに限る.

ただし、 Kは引用元の本では \mathbb{C}または \mathbb{R}のいずれかと定められている。

このうち最後の(4)が重要である。例えば \begin{pmatrix}
1 \\
1 \\
\end{pmatrix} \in \mathbb{F}_2^2同士の内積ユークリッド空間の場合と同じように計算してみると0になってしまう。これは(4)に反する。

標数が2だから特殊なんでしょ?」と思うかもしれないが、 \begin{pmatrix}
1 \\
1 \\
1 \\
\end{pmatrix} \in \mathbb{F}_3^3同士の内積も0となり、標数2に限った話ではないことが分かる。

つまり、内積が関係するようなベクトルの性質やベクトル空間に関する概念 (計量ベクトル空間、直交補空間、固有空間等) の扱いは注意を要するか、そもそも定義できない可能性があると考えるべきだろう。これらについては本稿のスコープを外れるので、ここでは深追いしない。

まとめ

本稿では有限体の元を成分に持つ数ベクトルの性質について調べた。結論として、内積がうまく定義できないという大きな制約があることが分かった。

次回は有限体の元を成分に持つ行列について考えてみたいと思う。さらにその次も多少ネタはあるのだが、このシリーズをどこまで頑張るかはその時のコンディションで考えたい。