有限体上の線形代数を探訪する ~ 行列編 ~

前回前々回の記事では有限体の元を成分に持つ数ベクトルについて調べた。本稿ではその続きとして、有限体の元を成分に持つ行列について考えてみたいと思う。

確かめたいこと

あまり網羅的なアプローチではないが、さしあたり有限体の元を成分に持つ行列について私が気になっていることについて明らかにしていきたいと思う。以下にその一覧を示す。

  • 基本変形はできるのか?
  • rankの概念は定義できるのか?
  • 行列の列ベクトルが全て一次独立であれば行列式は0にならないか?

本稿ではこれらについて考えてみる。なお、議論を発散させないために、線形空間や線形写像に関する話題は本稿のスコープ外とし、可能な限り持ち出さないようにする(ただし、どうしても1箇所だけ避けられなかった)。

基本変形

基本変形とは、対象となる行列に対して基本行列と呼ばれる3種類の行列を左右どちらかの方向から掛けることで行われる変換であった。

その意味で、「基本変形はできるのか?」と言われれば、体(というか環)であればできるということになるだろう。しかし、基本変形を行う通常のモチベーションは、行列を以下のような標準形に変形することにある。

 \displaystyle{
\begin{pmatrix}
E_{r, r} & O_{r, n-r} \\
O_{m-r, r} & O_{m-r, n-r}
\end{pmatrix}
}

ただし、 m, n, r \in \mathbb{N}, r \le m, r \le nで、 E_{r, r} r単位行列 O_{a, b} a b列の零行列を表す。

これはいつでも可能なのだろうか?以下で考えてみよう。

標準形への変形

 \mathbb{R} \mathbb{C}上の m n列の行列の場合、標準形への変換は以下のように行われるのであった。

  1.  i = 1とする。
  2. もし (i, i)成分が0なら、行や列の入れ替えを行い0でない値になるようにする。もし i行目以降、及び i列目以降の全ての値が0なら処理を終える。
  3.  (i, i)成分の乗法の逆元を i行目の全ての数に掛ける。これで (i, i)成分は1になる。
  4. 全ての j (j = i+1, \cdots , n)に対して、 i列目に (i, j)成分の値を掛けたものを j列目から引く。これで (i, j)成分が0になる。
  5. 全ての j (j = i+1, \cdots , m)に対して、 i行目に (j, i)成分の値を掛けたものを j行目から引く。これで (j, i)成分が0になる。
  6. もし i = \min(m, n)なら処理を終える。さもなければ iに1を足して手順2以降を再度実施する。

これを見ると、やっているのは四則演算に過ぎず、また正標数ゆえに不意に和が0になって困るようなステップもないため、成分が有限体であっても標準形に変形できると言える。

もし環だったら

一般の環の元を成分に持つ行列の場合、必ずしも標準形に変形できるとは限らない。これは乗法の逆元が存在しないために対角成分を1にできないケースがあるからである。

例えば、 \mathbb{Z}/4\mathbb{Z}の元を成分に持つ以下のような行列があったとする。

 \displaystyle{
\begin{pmatrix}
1 & 0 \\
0 & 2
\end{pmatrix}
}

ここで、2は単元ではないため何を掛けても1にできない。従ってこの行列は標準形には変形できない。

rank

ここまで標準形の存在について述べてきたが、一意性については触れてこなかった。 \mathbb{R} \mathbb{C}上の行列の場合、標準形は変形のしかたによらず一意に定まり、そのとき対角成分に並ぶ1の数をその行列のrankと呼ぶのであった。そのため、有限体であっても標準形の一意性が保証されるかどうかは重要な問題である。以下で考えてみよう。

ところで、rankは他にも同値な定義がある。それらについては線形空間に触れる必要があって本稿のスコープ外だったり、私の興味の外だったりするため、本稿では触れないことにする。

rank の一意性

標準形の対角線上に並ぶ1の数という意味でのrankの一意性については、本[1]の定理4.2に証明がある。それをここで写経することは割愛するが、証明には四則演算の他に以下の定理を用いている。

 n次正方行列 Aに対し,  XA = Eとなる n次行列 Xが存在すれば Aは正則である.  AX = Eとなる Xの存在を仮定しても同様である.

有限体の場合、四則演算は問題なく行えるが、逆行列は同じように定義されるのだろうか?

これについては逆行列の構成方法を考えれば分かる。 Aの余因子行列を \tilde{A}とすると、逆行列 A^{-1}は以下のように表される。

 \displaystyle{
A^{-1}= \frac{1}{\det{A}} \tilde{A}
}

行列式も余因子行列も、究極的には四則演算さえできれば求められるため、これらは有限体上でも同様に計算できる。また、 \det{A} \ne 0の場合のみ意味を持つという点も同様である。

以上により、有限体の元を成分に持つ行列であっても逆行列という概念は \mathbb{R} \mathbb{C}の場合と同様に定義できそうだ。すなわち、rankの一意性は保証されると言えるだろう。

一次独立な列ベクトルの個数と行列式

ここでは正方行列についてのみ考える。

まずは私が疑問を持った具体例について説明する。 \mathbb{F}_5の元を成分に持つ以下の行列について考える。

 \displaystyle{
\begin{pmatrix}
1 & 2 \\
3 & 1
\end{pmatrix}
}

これの行列式は普通に計算すると-5になるが、今は \mathbb{F}_5で考えているので0になる。一見すると正則に見えるような行列であっても行列式が0になってしまうというのは、どう解釈すればよいのだろうか?

実は、このカラクリは前々回の記事と関係している。すなわち、有限体の元を成分に持つベクトルは、一見すると互いに平行かどうかが分かりにくいのである。そして、今は2つの列ベクトルの間に \begin{pmatrix}
2 \\
1
\end{pmatrix}
= 2
\begin{pmatrix}
1 \\
3
\end{pmatrix}という関係があり、これらのベクトルは互いに平行だったのである。

結局、私の心配は杞憂であったと言えそうだ。

証明

行列の列ベクトルが全て一次独立であれば行列式は0にならないことの証明は以下のようになる[2]。

  n次正方行列 Aの列ベクトルの間の線形関係が自明なものに限られることから、 \mathrm{Ker}A = \{{\bf 0}\}となる。つまり Aが表す線形写像単射である。ここで次元定理により \mathrm{dim}\mathrm{Im}A = nとなるので、結局これは全単射である。よって Aが表す線形写像には逆写像が存在し、その表現行列は A逆行列となる。

次元定理は成立するのか?

不本意ながら最後の最後で線形写像の道具を使ってしまったわけだが、次元定理は有限体上の線形空間に対しても成立するのだろうか?というか、そもそも有限体上の線形空間に対する線形写像ってなんかヤバそうだが、どういう感じなんだろうか?

次元定理については成り立つと書いているブログ[3]が存在するが、証明はないため現時点では良く分からない。

まとめ

本稿では有限体の元を成分に持つ行列の性質について調べた。結論として、平行なベクトルの見かけに騙されなければ、特に通常の行列と変わりはなさそうだということが分かった。

次回は線形写像、特に次元定理について考えてみたいと思う。その後は余力があれば対角化や固有値・固有空間についても考えてみたいが、まだ先は長そうだ。